強烈なシャウトのみならず、ステージ上を激しく駆け回りながら会場をアジテートし、ラスベガスのライヴはMinamiが起爆剤になっている。メディアに登場する機会も少なく、ミステリアスな雰囲気をまとう彼は、このコロナ禍でも一貫して己のやるべきことである曲作りに向き合っていた。ラスベガスの曲作りについては憶測で語られることも多く、様々な情報が飛び交っていることもあり、改めてであるがその流れについて詳しく説明してもらいつつ、加えて今後のバンドのあるべき姿についてもじっくり語ってもらった。
――ソロインタビューの大トリがMinamiになるんだけど、こうやってインタビューが世に出るのってそんなにないのかな?
Minami そうですかね。
――そういったところではかなりレアな機会にはなるんだけど、ラスベガスに限らず、ここ2年ぐらいはコロナ禍でバンド活動も停滞気味になっているし、いろんな動きが見えにくくなっていると感じてて。そんな中、Minamiはどういう生活をしていたのかな?
Minami ライヴができなくなって、基本的にはほぼ曲のネタ作りをするだけになっていましたね。
――みんな、一昨年2月ぐらいから雲行きが怪しくなって、3月に入ってライヴの中止や延期が続出し、4月や5月なんて完全に動きが止まってて。
Minami そうでしたね。
――バンドマンに限った話じゃないけど、ダラける時期というか、生活が不規則になっていた人も多いと思うんだよね。そのあたりはどうだったの?
Minami もともと、そんなに外へ出歩く感じでもないですし、家にいれるときはいたいタイプなので、そこまで生活が乱れることはなかったです。あと、ずっとマネージャーさんと2人で曲作りをしていて。今は基本的にオンライン上で月水金と決められた日程で2人で曲作りをやって、それ以外の時間はオレは宿題として出された曲のネタ作りをして、という繰り返しなので、他のバンドマンよりは全然規則的というか。
――ラスベガスの曲作りについて、世の中的にはいろんな考察をされているところがあって。「こうに違いない」とか「こうなんですよ」のように、数少ないインタビューでの受け答えや発言を偏って切り取られていたりもするし。せっかくの機会だから、そのへんを整理して、ちゃんとファンに伝えた方がいいのかなと思っているんだよね。